青木秀一さん
「TOSCANA」や「東京ミート酒場」などのイタリアンを展開する、株式会社イタリアンイノベーションクッチーナ代表取締役社長。栃木県出身。
家族のために夕飯を作り、料理で人に喜びを届けられることを知った少年は、「日本一の料理人として独立したい」という夢を抱えて飲食の道へ——。
現場で体を張り、失敗と学びを重ねながら自身のスタイルを確立してきた青木さんは、先輩たちの支えを糧に腕を磨き、約260人のスタッフを束ねる代表取締役社長へと歩みを進めてきました。
そんな青木さんのこれまでのキャリアを振り返ります。
●目次
・母が作ってくれた料理が原点。師と呼べる人との出会いを経て料理人の道へ
・自分のやりたいことと違っても「まずはやる」。そこで得た経験がいつかは力になる
・料理も接客でも一番になるために。徹底的にお客様のニーズに寄り添う
・先人の“まね”をすることで、いつしかオリジナルが生まれてくる
母が作ってくれた料理が原点。師と呼べる人との出会いを経て料理人の道へ
青木さんにとって、料理の道を志す原点は母の料理。
学校給食の調理の仕事に就いていた母の料理はとてもおいしく、青木さんもお手伝いをしているうちに料理への関心が高まっていきました。
仕事で忙しい母に代わり、一緒に暮らす祖父母と3人の妹のために夕飯を作ることもあったといいます。
青木さん: 11歳頃から母に料理を教わり、僕が家族の夕飯を作ることもあったのですが、家族が僕の料理を『すごくおいしいね』と喜んでくれました。
一瞬にして人に喜びを与え、感謝される料理ってすごい!と思ったんですよ。
思い返せば、あの経験が料理人を目指すきっかけだった気がします。
とにかく早く仕事がしたい、料理を覚えたいという気持ちから、中学3年生の時には近所のラーメン店を手伝うようになります。
高校に進学し、飲食店以外にもアルバイトを掛け持ちしていた中、青木さんの運命を大きく動かしたのはアルバイト先の一つだったコンビニエンスストアのオーナーとの出会い。
青木さんの将来の夢が料理人であることを知ると、地元のさまざまな飲食店に連れて行ってくれたそう。
青木さん:当時の僕は地元の飲食店への就職を考えていたのですが、そのオーナーから『どうせやるなら日本一を目指したほうがいい。東京で一番おいしいお店を作れたら日本一って名乗っていいんじゃないか』と言われたのです。
そこで初めて、東京で働くことを意識するようになりました。
そんな2人の関係は、青木さんが調理の専門学校に進んでからも続きました。地元のお店のみならず、東京のお店を巡るようになった中で訪れたレストランの一つが、開業して間もない「TOSCANA 代々木店」でした。
そこで青木さんは、同店のオーナーである四家公明さんと運命的な出会いを果たします。
青木さん:僕が店内をきょろきょろ見回していたのが気になったのか、若いお客様がめずらしかったのか、オーナーがテーブルにやって来て、いろいろお話をしてくれました。
僕がイタリアンの料理人を目指していることを伝えたら『就職先は決まっているのか?まだ決まっていないなら、うちに来ないか?どうせ働くなら料理の旨いところで働いたほうがいいよな!』と言われて。
就職先を探していたところだったので『はい、ありがとうございます』って思わず返事をしてしまいました(笑)
こうして、人生の師とも言える2人の人物との出会いを通じて、19歳の青木さんは飲食業への第一歩を踏み出しました。
自分のやりたいことと違っても「まずはやる」。そこで得た経験がいつかは力になる
入社後、新人である青木さんは他のスタッフより2時間早く出勤し、仕込みをするための下準備を行う日々を送ります。
仕事の大変さは覚悟していましたが、厳しい指導を受けることも少なくありませんでした。
青木さん:飲食の仕事の大変さは覚悟していたんですけど、理不尽で厳しい指導を受けることもあって……。
もう辞めよう、いや、もう少し頑張ろう、の繰り返しでした。故郷を離れる際に『絶対に東京で成功するから』と言ってしまった手前、途中で諦めるわけにはいかないな、という思いが大きかったかもしれませんね。
そんなつらい時期に支えてくれたのが、一番近くにいた先輩たちで、僕のために朝まで話を聞いてくれました。
先輩たちの存在がなければ今の僕はないですよ。
入社から1年が過ぎた頃、青木さんはパスタ専門店への異動を命じられます。
イタリアンの料理人を目指していた青木さんにとって、決して本意ではありませんでした。
青木さん:パスタ専門店と僕が目指すイタリアンとは違うので、この時も“退職”という言葉が頭をよぎりました。
でも、これも一つの経験だと考えて仕事を続けていくと店長に任命されました。
そこで、『料理人だけでなく店長としても、誰にも負けたくない!』と、歴代店長の誰よりも高い売上を達成しようと思いました。
ただ、その時は経営者への道のりというよりは『数字を上げれば誰からも文句を言われなくなるだろう』くらいの認識でしたね。
あの頃の僕は、会社に対するイラつきがたくさんあったのだと思います。
店長就任後、近隣にあるお店に1軒1軒あいさつに回り、「新しく店長に就任しました。よろしければお店に来てくださいね」と名刺を配りながら自店の宣伝活動をスタート。
いつものように名刺を配りに出かけようとしたある日、スタッフたちから「売上を伸ばしたいのは青木さんだけじゃないです。自分たちも休憩時間であいさつに回ります」と声を掛けられたそう。
その時、より良いチームは自分が行動して初めて生まれるものだと体感したのです。
料理も接客でも一番になるために。徹底的にお客様のニーズに寄り添う
青木さんをはじめとするスタッフの努力が実を結び、パスタ専門店は過去最高の売上を記録し、人気店へと成長を遂げました。
その2年後、青木さんは23歳にして料理責任者として、再び「TOSCANA 代々木店」へ異動しました。
青木さん:代々木店に戻った当時、同期が店長を務めていました。
その頃の僕は、料理は誰にも負けないという自信を持っていたのですが、お客様から『ありがとう。おいしかった』という言葉を掛けられるのは店長で。
『料理を作ったのは僕なのに……』と思いながらも店長を観察していると、細かな接客とコミュニケーションでお客様に寄り添っている姿がありました。
そこで一気に火が付いて『料理も接客も一番になってやる!』と心に決めました。
人一倍の向上心で日々の業務に取り組んだ青木さんはその後、店長に就任。
以前勤務していたパスタ専門店と同様に、駅前でチラシを配り、近隣のオフィスビルに入居する企業に「ランチや歓迎会などで使ってください!」とあいさつに回りました。
加えて、店舗前にスタッフの写真と、その日のメニューと調理法を書いた黒板を置き、地道なPR活動を続けました。
青木さん:一度来てくださったお客様に店のファンになってもらいたい。
だからこそ、お客様とのコミュニケーションには徹底的に力を注ぎました。顧客ノートを作り、好みの料理やドリンクを書き込み、『メニューにないお酒を特別に用意するから』と次回の予約を取りつけたり(笑)。
もし、誕生日祝いで来店するお客様がいれば、周囲のお客様にも協力してもらって自腹で購入したクラッカーを鳴らして歌で盛り上げていましたね。
そうしているうちに“誕生日のお祝いをするなら代々木のTOSCANA”と評判を呼び、過去最高売上を達成。
より良い店へと成長させるには、料理はもちろん、お客様に喜びと感動を与えるための接客も同じくらい重要だと実感したそうです。
何かを決断するときは「ワクワクできるか」で選ぶ
若くして2つの店を人気店へと押し上げた27歳の頃、四家さんに1年後の退職を宣言します。
日本一の料理人になることを夢見た青木さんは、いずれは独立して自分の店を持ちたいと考えていました。
しかし、四家さんの言葉は意外なものだったようです。
青木さん: 僕が退職の意向を伝えたところ、『せっかくうちにいるなら、1人で独立するよりみんなで力を合わせてもっと面白いことをしないか』と言われて。
続けて『どの街に行っても、うちのお店がある。そのお店で働いている人は、みんな生き生きとして楽しそうにしている。そこに来るお客様も笑顔で、このお店に来て良かったと思ってもらえる。そんなお店がたくさんあったらどう思う?飲食の世界を変えないか』と。
そんな壮大な計画を聞かされたらワクワクしちゃいますし、チャレンジしたくなるじゃないですか(笑)。
『やりたい』と伝えると『じゃあ、お前を役員にするから』という想定外の流れで役員に就任することになりました。
28歳で青木さんは取締役として会社全体の人事を任されました。
しかし、当然ながら人事の知識も経験もないゼロからのスタートです。
人事関連の書籍を読み漁り、他社の人事担当の方々に話を伺う機会をつくるなど、人事とは何をするべきなのかを徹底的に学びます。
その後、33歳で営業部長、35歳で営業本部長兼人事部長を歴任し、実質的に同社の飲食事業のトップを務め、2021年5月には取締役社長に就任しました。
コロナ禍の真っ只中であり、飲食業界にとって逆風が吹き荒れている時期でした。
事業の成長を目指すため「心の成長」が伴っているかを顧みる
そんな状況下において、青木さんはあえて全社を挙げたリブランディングを実施しました。
それは、取締役就任時に四家さんから提案された“理想の飲食業”を自分なりのスタイルで実現するための第一歩です。
新型コロナ関連の給付金を用いて全店舗の内外装をリニューアルし、食器やスタッフのユニフォームも一新。
店舗のコンセプトを再構築する中でメニューの価格改定も実施し、自分たちが働きたいと思える店づくりを進めました。
加えて、社員教育の見直しを図ったと言います。
青木さん: 料理人としての技術教育に加えて、新たに“心の教育”を取り入れました。
僕たちの仕事は、生産者さんやお客様がいてはじめて成り立ちます。
しかもお客様は、数ある飲食店の中からわざわざうちを選んで来てくださっている。
そんなお客様に1,000円の料理に付加価値をつけて1,300円や1,400円で提供するためには、盛り付けや食器を変えるだけでは不十分。その料理にあるストーリーを伝え、価値として納得していただくことが不可欠です。
そこで、座学研修や生産者さんへの訪問を通じて、スタッフ全員が同じベクトルかつ、感謝の気持ちを持って仕事に向き合える環境づくりを始めました。
会社の成長のためには“心の教育”が必須という考えから、新入社員向けの研修は青木さん自らが資料を作成して講師を務めているそうです。
先人の“まね”をすることで、いつしかオリジナルが生まれてくる
事業の立て直しやリブランディング、そして教育の見直しなどが徐々にプラスの効果を生むようになった2023年、その手腕を見込まれて青木さんは代表取締役社長に就任。
現在は、飲食業に携わる人が誇りを持って続けられる仕事・人生の実現に向けて、さまざまな取り組みを行っています。
その一つが、イタリア語で数字の「21」を意味する「VENTUNO(ヴェントゥーノ)」という新しいブランドを立ち上げることです。
青木さん:イタリアには20の州が存在するのですが、もし21番目の州があったとしたら、どんな料理やサービスを提供するか――。
そんな、自分たちもお客様もワクワクするようなお店を作りたいと考えています。弊社のビジョンに『イタリアの調理技術と日本の旬の食材を使い、自らの真心と知識、技術を通じてその一皿でお客様の満足に繋げる』とあるのですが、これを体現すべくイタリアの調理技術と文化と日本の調理法・食文化の融合を色濃く打ち出したいです。
(取材場所となった)このTrattoria TOSCANA 京橋店の店内には、これから生まれてくるVENTUNOをイメージした絵画を飾っています。
既存店に関しても、都内から郊外への進出を考えているといいます。
現状維持にとどまらず、常に前進を続ける青木さんの心にあるもの、モチベーションは何なのでしょうか。
青木さん: うまくいかないことが重なると、途中で心が折れてしまいそうになることもあるかもしれません。
ですが、うまくいかないことには理由があり、僕自身は『自分のやり方に問題がある場合』が多かったです。そういう時は、自分のやり方に固執せず、まずは先人のノウハウをまねしてみることが近道ですね。成功している先輩方は、長い時間をかけてビジネスのノウハウを構築していますから。
まねしていくうちに、少しずつ自分なりのノウハウが蓄積していき、おのずと自分らしさが生まれるものだと思います。
「まねをしていくうちに、少しずつ自分なりのノウハウが蓄積していく」。
数えきれない試行錯誤を重ねてきた青木さんだからこそ、たどり着いた答えです。
求められる役割のたびに新しく学び直し、高いハードルを越えてきた青木さんの積み重ねが今、新ブランドへの挑戦へとつながっています。
飲食業に関わるすべての人が誇りを持って働ける未来を目指すべく、青木さんのビジョンは今もなお広がり続けています。
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